自然と歴史

 

自然と歴史

自然について

根羽村は長野県の最西南端に位置しています。東北は下伊那郡の売木村、平谷村に接しており、一部は岐阜県恵那郡上矢作町に、西は愛知県東加茂郡稲武町、岐阜県上矢作町に接し、南は愛知県北設楽郡津具村及び豊根村と接しています。気候は夏季の高温多湿、冬季の寒冷乾燥で特徴づけられる表日本型です。しかし植物の分布で見ると日本海要素と呼ばれる植物が存し、裏日本型気候の影響が見られます。年間降水量は2.206㎜で飯田や名古屋の1.4倍で多雨地帯に属しているので植栽されたスギ・ヒノキの成長が著しく、他の下伊那地方の山林には見られない美しい林相を呈しています。

歴史について

古代・中世の根羽・月瀬村両村は三河の国に属していました。 現在の愛知県東加茂郡全域と豊田市・西加茂郡・北設楽郡及び長野県の旧根羽村・月瀬両村を含む広大な区域は、古代の 平安時代(794~1.185)後半に高橋新荘が成立し、中世に入り鎌倉時代(1.185~1.331)には鎌倉御家人の荘官足助氏の 支配下に入ったと伝えられています。根羽の地は鎌倉時代は加茂郡名倉郷にあり、南北朝時代には加茂郡足助庄に属した とされています。 享禄年間(1.528~)には阿南町新野の関氏の勢力が三河に及び、天文十年(1.541)には旧根羽村・月瀬村に及んだと されています。 天文十三年八月十三日、下條氏によって関氏は滅ぼされ、下條氏の支配下に入ったのは、弘治ニ年(1.556)新野峠が 武田軍によって改修され、下條信氏が武節谷合戦で功を上げた頃と思われます。 信玄南下作戦の一環として元亀二年(1.571)四月、足助松山城が攻略され、根羽・月瀬両村はこの時以降武田領となり 三河国から信濃国に編入となった。以後、天正十年(1.582)武田氏滅亡により、織田知行所に変わり、同年、織田信長の 自刃により徳川氏の天領となった。宮崎信州代官・飯島代官所支配などを経て、慶応四年(1.868)尾州取締所預かりとなり、 同年八月の廃藩置県により伊那県に編入となった。 明治四年(1.871)筑摩県、同九月に長野県となり、。明治8年(1875年)1月12日、根羽村と月瀬村が合併し、現在の根羽村 となり、今日に至っています。16世紀までは、三河国加茂郡に所属していた経緯もあり、隣接する豊田市、さらに西三河の刈谷 市・安城市とも交流がある。村内を流れ三河湾に注ぐ矢作川や、豊田市と通じる国道153号の影響で、愛知県西三河地域と の結びつきが強い。

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